「主の力の働くところ」  03−08−17
             ルカ9:49〜50

 神さまの力が働くのは、主に従っていた弟子たちのところだけではありません
でした。弟子とは別の人も、主の名を使って悪霊を追い出していたのです。
それはどんな人であったのか分かりませんが、確かにその人のところにも、
神さまの力は働いていました。このことは何も驚くことではありません。
天地をお造りになった神さまですから、ご自分のお造りになった世界のどこに
おいても、ご自分のお力をあらわすことがおできになるのは当然のです。
神さまが力を表される処というのは、限定されることなく、広く、豊かなのです。
弟子でない人のところでも、神さまの力が表されていた出来事は、神さまの
力が表される処の広さを知らされ、讃美すべき出来事でした。

 また、この出来事は、自分のところでも神さまの力が働くことを知らされ、
励まされる出来事でもあります。弟子のヨハネから「あなたは、私たちと一緒に
イエスさまに従っているのか。」と問われたとしたら、自信を持って「はい」と
言えるでしょうか。私たちは、何度も主に従い切れない自分の不信仰に悩まされる
者です。しかし、ヨハネから「主に従っていない」と言われている、名も知れぬ
その人も、神さまの力の働く器とされていたように、私たちも神さまの尊い器として
用いていただけるのです。ですから、私たちは、何もできないと言って、縮こまって
しまう必要はないのです。神さまと人に仕えようとする者を、神さまは喜んで
ご自分の力を働かせる器として用いてくださるのです。

 その時ヨハネは、神さまを讃美する事も、悪霊を追い出してもらった人のことも
喜ぶ事ができませんでした。その人と自分との関係に心を奪われていたからです。

 神さまの働きよりも、自分のことが気になる時に、人は讃美や喜びでなく、
非難や妨げに夢中になってしまいます。
 神さまの力の働いていることに注目しながら、それを見つづけて歩みたいの
です。 そこに、ねたみや争いでなく、讃美の生活が生み出されていきます。